人はなんで生きるか

子どもの頃、先生は偉い人だと思っていました。でもある時(中学生)、先生にも答えられないことがあると、突然気づきました。驚きと感動でした。
それは「人はなんで生きるか」という問いです。先生と生徒ではなく人と人の関係にたてたからうれしかったのだろう。
そしてそれから何度かこの問いかけをしてきた。
しかし今思うに、この問いを発するときは、何かに行き詰って気持ちが沈んでいた時だと思う。

「人はなんで生きるか」を考えた時を振り返ると
  ・人生に希望や目標を見失った時
  ・生活に面白みややりがいを感じてない時
  ・独りぼっちだと感じた時
  ・将来への不安を抱いた時
人生がステップアップするときに必ず試練がやってくる。学校の先生が、生徒に難問を与えるように。
その悩みを解消する方に目を向けないで、何で生きるのかを追求するするのはなんか違うような気がする。
根本的な解決ではなかったように思うが、いつも何か小さな課題を見つけて生きてきた。

逆にそんなことを考えなかった時は
  ・困難な現状を受容する力があった。若さなのか。
  ・片思いの苦しさがあっても、それも青春の味だったのか。
  ・仕事がしんどくても人や世の役に立っていると感じていた。

「人はなんで生きるか」を考えているだけで、時間を無駄にしてはいけない。小さなことでも動くことから意識を変えていこう。
  ・現状の困難を変えていく動きをする。
  ・自分のやりたいことを明確にする。
  ・人の役になることをする。役だっているという認識を持つ。
  ・「楽しい」「嬉しい」というプラスの感情を掘り起こす。
  ・自分の考えや本音を共感してくれる友達や家族をつくる。

あるサイトでは、「人はなんのために生きているのか?」と自問する代わりに「私は何のために生きるのか?」と自分にたずねてみよう、とある。また諸富氏の本では、人生の意味を問うのに先立って、人生の方から人間に「問い」が発せられてきている、とある。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 1

ナイス

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック